Satoshi村
2005 ユニセフ・ニュースより
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2005.12.17 モザンビーク
国の名前を聞いてもどこだっけ?
という国はたくさんあります
特にアフリカの国々の事がわかってないですね
面積は日本の約2.1倍
人口は約1886万人(2003年)
18歳未満の人口は約956万人(2003年)
5歳未満児の死亡率は158(1000人あたり/2003年)
1歳未満児の死亡率は109(1000人あたり/2003年)
HIV/エイズ有病率(15〜49歳)は12.2%(2003年)
ユニセフ・ニュース(
Vol.207より)
2005.07.16 ジンバブエ
ジンバブエ共和国、約39万平方キロ(日本の約1.1倍)
人口は約1289万1000人(2003年)
5歳未満の死亡率は126/出生1000人中(2003年)
日本は4です
両親はエイズで亡くなったと思われる16歳の女の子
彼女の1日は水くみから始まるそうです
朝食を作り2人の弟を起こし学校へ行きます
学校が終わると大切な畑の手入れ
その後は薪拾い
夕食を作り弟たちの宿題を見て、それから自分の宿題
6時間後はまた水くみです
(ユニセフ・ニュース
vol.206より)
2005.06.03 シエラレオネ
10年あまりにおよぶ内戦が終結し、
選挙による現政権が樹立してから3年になります
シエラレオネはいまだ乳児死亡率の最も高い国の一つです
1000人のうち165人が1歳未満で死亡
1000人のうち316人が5歳未満で死亡(2000年)
日本の1000人あたりの5歳未満の死亡は4です
たまたま自分が日本に生まれたということ
たまたま自分が健康に育ったということですよね?
必要な予防接種を受けられる子どもがおよそ半数、
安全な水を使えるのは人口の60%に満たないそうです
(ユニセフ・ニュースより)
2005.04.18 スーダン ダルフール地方
14歳のハムディは生まれ育った村を民兵組織に襲われ
目の前で両親を殺されました
おじさんと9歳の妹は行方不明です
何日も1人で歩いて、、、
難民キャンプにたどり着くことができました
いまだにおじさんと妹の行方はわからないそうです
20年以上も内線を繰り返してきたスーダン
2005年1月9日に包括的和平協定に調印しました
ダルフール地方は点線の西側です 見えます?(^^;;;
(ユニセフ・ニュース
2005 vol.205より)
2005.03.31 スバの誕生日
スリランカのあの日、、、
14歳のスバ(仮名)の母親は巨大な波に命を奪われたのでした
スバには雷鳴のような大きな音は聞こえませんでした
生まれつき耳が不自由で話すことができなかったのです
幸いにも何とか逃げて一命をとりとめることができました
父親は漁師をしていましたが4年前に亡くなり、
母親も死んでしまったため、
今となっては誰もスバの正確な誕生日を知る人がいません
津波で家族とはぐれ、離れ離れになった子どもたち
ユニセフ・ニュースより
2005.03.02 募金でできること
3円で、失明や、はしか、下痢の余病を防ぐビタミンA補給剤(1人あたり/6カ月分)
6円で、下痢による脱水死を防ぐ経口補水塩(ORS)1袋
13円で、必要最低限の文房具(えんぴつ、ノート、消しゴム)一式
1ドル=114円で計算(小数点以下切り上げ)
ユニセフ・ニュースより
鉛筆とか消しゴムって使ってます?
サプリメントなんてどこでも手に入れられますね
経口補水塩って見たこともない(^^;;;
2005.02.08 40年間で、、、
西暦 |
死亡率 |
年間の死亡者数 |
1日あたりの死亡者数 |
1960年 |
5人に1人 |
1890万人 |
約52000人 |
1970年 |
|
1740万人 |
約48000人 |
1980年 |
|
1470万人 |
約40000人 |
1990年 |
10人に1人 |
1270万人 |
約35000人 |
2002年 |
12人に1人 |
1100万人 |
約30500人 |
1990年までの年間推移数は1993年世界子供白書による推定値
2002年の数値は
Progress For Children vol.1による
( ユニセフ・ニュース
2005 vol.204 )
世界の5才未満児の死亡率
は40年間でどう変わったのでしょうか? 5人に1人が亡くなっていた1960年から、、、 42年間で12人に1人になっています
その間に人口は増えてるわけですから 年間の死亡者数はあまり減ってないですね 子供の命に関わるこんなに大事なことが40年もかかるんですねぇ〜
このペースだと死亡率100人に1人は、、、 あと200年以上もかかる?(^^;;;
2005.01.09
8才でRUF(革命統一前線)に拘束され、 その後、スパイ、盗品の運搬、反政府軍兵士の妻となり、 妊娠したそうです 混乱の中で逃げ出しユニセフに保護され MSF(国境無き医師団)の元で出産し 2000年からはセンターに保護され学校に通い始めたそうです ナンディ・フォーナ 今は中学生です
ユニセフ・ニュース
vol.204より
ああぁ、杏仁豆腐にはまってる私は、、、大バカです(^^;;;